幼少時代

安田優子の幼少時代はとても変っていたらしい。
小さい頃からおしゃべりが大好きで、地下鉄に乗っている間は隣の人にずっとはなしかけていたり、父親から、お父さん お母さんと呼ぶように「しつけ」を受けていたため、母親と何処かへ出かけた時だけ 「ママ」と呼んでいたんです。
ちなみに大人になってかもは、母とバッタリ夜の繁華街 「ススキノ」であったときは、「セツ子さん!(母の名前)」と呼ぶことになっていました。


安田優子 5月29日木曜日生まれ

優子10か月

午前4時35分 札幌天使病院にて産声をあげる。
自分の記憶が 残っているのは 3才ぐらいからなので、 このころはあまりよくわからないのですが、兄が小学校入学の時に撮ったらしいのです。ちょうどこのころ歩き出したらしく暴れている1枚。顔も可愛くなく 男の子と間違われていたらしい。

優子1才半
優子3歳

七五三です。この時 写真を撮ったことは憶えています。
うちの裏で撮ってもらったのですが、「二人目の子供は写真が少ない」という話を そのまま地で行く安田家では、赤ちゃんの頃から優子の写真は、ほとんど無く、唯一といっていいほどいっぱいあるのが、三才の時 撮ったこの七五三写真です。子供をお持ちの皆さん 写真は平等にとってあげてくださいませ。

優子4才 (真ん中)
私立札幌幼稚園卒園

私の初恋は、幼稚園の頃でした。
でも名前とか憶えていないんだよなぁ。
学芸会で裸の王様の王子様の役をやった人なんです。(2人王子様の役で、ひとりは出口くんという子だったのは憶えているんですが、 自分の好きだった男の子のことは名前すら憶えていないという状態。誰か知っていたら教えてください)
私はお妃様になりたかったんだけど、手を上げられなくて、その人の家来でいいわと思って、 家来の役をやったんです。(苦笑)


幼少時代の三大ニュース

  • スキーのストックで兄を刺す。2才
    家の前で遊んでいた時に、間違って兄の目の上(眉毛あたり)を刺したらしい。
    兄が血だらけになり、優子本人も悪いことをしたと反省したらしく、みずから 押し入れに入って、ずっと泣いていたところを発見される。
    そのため、母親は怒らなかったらしい。
  • 初めて迷子なる。5才
    大きな雪像でいっぱいの札幌雪まつりの真駒内会場で雪の滑り台に早く行きたい ばっかりに、つないでいた母の手を離して走っていったら、何万人ともいわれて いる人ごみの中でで、母の姿が見当たらなくなる。
    迷子センターへ自分で行き、呼び出しをかけてもらって何とか母と再会できた。
    もう、一生私は家に戻れないからどうなるんだろうと迷子センターの中で声を 出さずに涙を流しながら、センターでもらった「あんまん」を食べてたところに、 やって来た母も、「もう一生会えない。とんだことをしてしまった」と思ったらしい。
    この迷子になって以来、何処か行くときは、ちゃんと手をつないでました。
  • 月賦でちょちょいのパッ。6才
    「月賦」という言葉を憶えたてで、とても使いたかったある日、父親が知人の お祝いを買うという買い物に一緒に行き、何かを買っていたんですが、その時、 カードで買い物をしていたんです。
    その後、その知人宅にも一緒に行ってお祝いを父が渡したとき、

    知人「すみませんねぇ」
    優子「月賦でちょちょいのパッだから大丈夫。」
    と、言ったのです。その時、父親が知人にどう言ったのかは、憶えていませんが、
    帰った後に、「どこでそんな言葉教えたんだ」と 母親が 怒られたらしいのです。
    子どもの前で使う言葉は気をつけましょう。