らんらん時代

らんらん時代

小さい頃から、人前に出るのが大好きで、大きくなったら歌手になりたかった安田は、オーディションを受けては落ちての連続。私の第2希望は、アナウンサーになること。大学に進学したのも、アナウンサーの試験は大卒が条件だったから。しかし、受験は出来ても、見事?に不合格。就職先も決まらないまま、大学の卒業試験の時期になり、ちょっと悩んでいたところ・・・。
友達から、STVラジオで「らんらん号」の募集をやっているという話を聞き、これが最後のチャンスと応募したところ合格。
それから2年間らんらん号として活動する。


らんらん号に乗っている人
らんらん号

らんらん号っていう、ちょっぴり派手な車にのって、街を走って、ラジオでちょっぴりしゃべる、そんなお仕事なんです。
カッコよく言うと、「キャスター&ドライバー」という仕事。私が乗っていた時、らんらん号は契約期限が2年間のお仕事で、6人いたのですが、二人一組での活動で1日3交代でした。
現在は、2人になって、私としては寂しい限りですが、年に1度は募集していると思います。1月から2月のはじめ頃に募集することが多いので、
やってみたい方は要チェックです。安田でもできたしね。あっ、そうそう、自動車免許もっている人に限られます。

らんらん号の車

当時、ランラン号は2台。トヨタのコロナと日産のブルーバード。4駆でオートマ車です。ボディーのカラーは赤と白と緑とオレンジも入ってます。
上に青のパトライト(くるくる廻るやつで、警察は赤いのつけてるでしょ)がついてます。
改造車とは違うので、5ナンバーの普通乗用車。
しかし、大きな無線機を3台つんで、マイクも電話機もついてるし電気いっぱい使ってます。
とても目立つ車なので、みんな見てくれるのは、とてもうれしいのですが、
よそ見運転になって、いきなり急ブレーキをかけてる音がたまに聞こえてきたりして、すこし恐かったです。これからも、お互い安全運転で走りましょうね。

らんらん号の思い出
1992年8月10日スポニチ

らんらん1年生
大学卒業と同時に右も左もわからない世界へ突入。
らんらんの仕事は、朝が早かったり(朝6時15分出社)、遅かったり(昼12時出社)毎日違うので、遅刻しないかと、なかなか 眠れないことが多く、仕事で失敗する夢をよく見ていました。

らんらん2年生
STVラジオの人気番組「日高晤郎ショー」のなかで、(土曜朝8時から夕5時までの9時間番組です)安田が大声のダミ声で、「ゆうこです!」と叫ぶのが喜ばれ、
「知っている人は知っている・知らない人は全く知らない」というランラン号の安田優子が私のキャッチフレーズになる。
2年目でやっと慣れて来た頃には、もう卒業。

らんらん号のメンバー
私が、らんらん号時代の2年間は、同期が2人、先輩が3人、そして後輩が3人の全部で8人の人たちと過ごしました。ランラン号は昭和49年からあるそうです。
ちなみに安田は55代目ランラン号で、すでに100人以上のOGが存在しています。


左から1年目5月、2年目秋、2年目夏の集合写真